知的財産の価値

日本の産業構造の変遷と知的財産の戦略的価値

昭和期:生産すれば儲かった「技術の黄金期」

 

昭和の中頃、戦後の復興から高度経済成長期にかけて、日本は「作れば売れる」という供給が需要に追いつかない時代を経験しました。この時期には、製品のアイデアやそれを実現する技術、すなわち知的財産は、直接的な収益源として極めて高い価値が認められていました。例えば、ドクター中松氏のような発明家が注目を集めたのも、この技術そのものに価値があった時代の象徴と言えます。当時は、新しい技術やアイデアを生み出すことが、そのまま市場での優位性に直結していたのです。


 

「安価な製造」への傾倒と知財価値の暴落

 

しかし、やがて市場にモノがあふれ始め、単に製造すること自体が生み出す利益が大きくなりました。企業は、製造プロセスや工賃によって安定的に収益を上げられるようになり、この「製造による収益」が企業活動の本質であると誤解される時代が長く続きました。

この結果、**「考えなくても儲かった」**という環境が、知的財産の価値を地べたまで落とす要因となりました。多くの日本の製造業経営者の間には、「目に見えない特許やノウハウといった知恵にお金を払っても、それが儲かる保証はない」という認識が広がり、目先の製造利益に投資する方が合理的という風潮が支配的になりました。これにより、知財への戦略的な投資は軽視され、「特許の価値は低い」と見なされる状況が長期間続きました。


 

グローバル競争激化と「法的優位性」への回帰

 

状況が一変したのは、中国や東南アジア諸国が製造技術を急速にキャッチアップし、グローバルな製造競争が激化したためです。日本人技術者ができることは、もはや中国人や他のアジア諸国の技術者にも可能となり、製品の物理的な同質化が進みました。その結果、市場での勝敗は、純粋な工賃の安さ、つまりコスト競争力によって決まるという厳しい現実に直面することになりました。

このような環境下で優位性を確立するには、もはや**「技術的な優位性」**だけでは不十分です。なぜなら、技術は模倣され、優秀な人材の転職(例えば日本企業を退職し、中国企業に就職するケース)によって容易に海外へ流出してしまうからです。技術的な優位性を保持し続けるための唯一の方法は、特許などの知的財産権を戦略的に活用し、「法的に優位な立場」を確保することにあります。特許という強力な武器があって初めて、技術的な優位性は「独占的な競争優位」へと変換され、守られます。この認識こそが、現在の日本企業に求められているのです。


 

知的財産の価値再認識と経営者の覚悟

 

ようやく、多くの日本企業は、国際的な競争環境の変化の中で、知的財産の戦略的価値を再認識し始めました。これは、知財の価値が底を打ち、反転の時期を迎えていることを示唆しています。

知恵やアイデアに対して正当な投資を惜しむ企業は、模倣や価格競争の渦から抜け出すことができず、結果として高付加価値製品を生み出す能力を失い、永遠に工賃を稼ぐという低次元の競争に甘んじることになります。日本の経営層は、この厳然たる事実を深く理解し、知的財産を単なる「保険」ではなく、**未来の利益を独占するための「資本」**として扱う戦略的な覚悟を持つ必要があるでしょう。

 

では。

 

 

 

 

 

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