常識では、お金を借りると借りた人が返済しなければなりません。中小企業ではお金を借りるとき社長が個人保証します。そこで、国債を発行するときは総理大臣が個人保証するというのはいかがでしょうか。県債の場合は知事が個人保証します。但し、借りたお金で投資をする場合、利益が出たときは成功報酬を支払い、損失が発生したときは補償するのがよいと思います。使途は公共投資なので効果は長期間にわたります。そこで、補償の義務と成功報酬を受け取る権利を保証人の子孫に受け継がせるのがよいと思います。それくらいの覚悟を持った人でないと立候補してはいけないと思います。また、役人や政治家は、それくらい真剣に考えて国を経営すべきだと思います。良く選挙運動中に候補者が有権者に投票をお願いしているのを見て、不思議に思います。なぜ国民のために働こうとしている人が有権者にお願いするのでしょうか。有権者が候補者にいろいろな問題解決をお願いするのが普通ではないでしょうか。
このような個人保証という制度も使いながら、努力を積み重ね借金の額を減らしていき、どうしても返済できない借金は国の株として売却すればよいと思います。国の株とは投票権だと思います。国債の償還100万円を放棄すると生涯投票権が1票もらえるという制度はいかがでしょうか。20代、30代の人は買わないでしょうから20~30年で借金が無くなります。法人にも投票権を持たせ納税額により票数が決まるようにすれば、お金と口がセットになります。そこで初めてフィードバック制御が働くのです。現在は、フィードバックの無い制御で学習機能はありません。
そのようなことをすると貧富の差が開くので最低限の社会保障は必要ですが、伸びる人をもっと伸ばす政策も必要だと思います。誰でも知っていることですが、収入以下で生活しないと、いずれ破綻します。それにしても返すあてのない国債をこれだけ発行するということは、公務員や政治家は引き算ができないのでしょうか。公務員を採用するときや選挙に立候補できる人の資格は小学校卒業以上の学力を有するものと決めてはいかがでしょうか。
<<< 借金の理由 >>>
開発が完了した国を先進国といい、開発が完了していない国を発展途上国といいます。日本はまだ高速道路や新幹線の整備を進めている途中です。早く開発が完了し先進国になれば良いと思います。また効率をあげて借金を減らすことができるのではないでしょうか。では、どんな状態を開発完了というのでしょうか。それは決まっていないと思います。自分で完了したと思えば完了です。
<<< 借金とは >>>
借金とは人間が作り出したマジックです。お金を基準に物事を考えると資源やエネルギーが無限にあるように感じてしまいます。しかし、いつかどこかで清算するときが来るのです。そのとき困らないようにしておくのも一つの方法です。困るのは自分たちの子供や孫です。家賃の高いオンボロアパートからはみんな出て行きます。(2003年12月)
少し詳しく書いてみました。
国の借金と経営感覚 ― 総理大臣が国債を個人保証する世界
(このコラムは2003年12月に執筆されたものです)
1.経営者に「覚悟」を問う個人保証制度
民間企業、特に中小企業では、社長が会社の借入に対して個人保証をするのが常識です。返済の最終的な責任を個人として負うことで、経営に凄まじい当事者意識が生まれます。
この当たり前の原則を、国の経営に当てはめてみてはどうでしょうか。
すなわち、国債を発行する際は総理大臣が、県債を発行する際は知事が、それぞれ個人保証をするのです。
もちろん、ただ責任を負わせるだけではありません。その資金で行った公共投資が成功し利益を生んだ場合は、保証人たる総理大臣や知事に成功報酬が支払われます。逆に、計画が失敗し損失を発生させた場合は、私財で補償するのです。
公共投資の効果は長期にわたるため、この「補償の義務」と「成功報酬を受け取る権利」は、保証人の子孫に継承させるのが筋でしょう。これほどの覚悟を持てない人物は、そもそも国のリーダーに立候補すべきではないと私は考えます。
この仕組みは、現在の政治のあり方にも一石を投じます。選挙のたびに、候補者が有権者に「一票をお願いします」と頭を下げる光景には違和感を覚えます。本来、国民のために働こうというリーダーならば、有権者が「私たちの問題を解決してほしい」とお願いするのが自然な姿ではないでしょうか。個人保証という究極の責任は、政治家と国民の関係性を本来あるべき姿に戻すきっかけになるかもしれません。
2.借金を「国の株」に変えるという発想
個人保証制度で未来の無責任な借金に歯止めをかけたとして、すでに積み上がった莫大な債務はどうすればよいのでしょうか。ここでもう一つの提案があります。それは、返済不能な借金を「国の株」として売却するという考え方です。
ここで言う「国の株」とは、「永久投票権」です。
例えば、国債100万円の償還(返済)を債権者が放棄する代わりに、その個人に生涯有効な投票権を1票追加で付与するのです。おそらく、人生が長い20代、30代の若者はこの交換に応じないでしょう。結果として、上の世代が保有する国債から順に消滅していき、20〜30年もすれば国の借金は大幅に圧縮される可能性があります。
さらにこの仕組みを法人にも適用し、納税額に応じて法人の投票権数を決めるようにすれば、経済的貢献と政治的発言権が連動します。まさに「お金(責任)と口(発言権)がセットになる」状態です。これにより、現在の政治に欠けている「フィードバック制御」が働き、政策決定に学習機能が生まれるはずです。
もちろん、このような制度は富裕層や大企業の発言権を過度に強め、貧富の差を助長する危険性もはらんでいます。したがって、国民の生活を守るための最低限の社会保障制度を維持することは絶対条件です。しかし、それと同時に、意欲と能力のある個人や企業がもっと伸びるような政策も、今の日本には必要ではないでしょうか。
3.借金という「マジック」の終わり
収入の範囲内で生活しなければ、いずれ破綻する。これは家計でも国家でも変わらない、小学生でも理解できる自明の理です。返すあてのない国債をこれほどまで発行し続ける政治家や公務員は、この単純な引き算ができないのでしょうか。いっそ、公務員の採用試験や議員の立候補資格に「小学校卒業以上の学力」を加えてはどうかとさえ思います。
そもそも、なぜこれほど借金が増えたのか。一つの見方として、日本がまだ「開発途上」だから、という議論があります。高速道路も新幹線も、まだ整備の途上にある。全てのインフラ開発が完了し、真の「先進国」になれば、国家運営の効率も上がり、借金も減らせるという考え方です。しかし、「開発完了」とは一体どのような状態を指すのでしょうか。その定義はどこにもなく、結局は自分たちが「完了した」と思えば完了なのです。
私たちは、「借金」という人間が生み出した壮大なマジックの本質を直視せねばなりません。お金を基準に物事を考えると、まるで資源やエネルギーが無限に湧いてくるかのような錯覚に陥ります。
しかし、いつか、どこかで、必ず清算の時が訪れます。そのツケを払わされるのは、今の大人世代ではありません。私たちの子供や孫の世代です。
家賃ばかり高くて住み心地の悪いオンボロアパートからは、いずれ誰もが出て行ってしまうのです。その日が来る前に、私たちは国のあり方を根本から考え直さなければなりません。
