破壊 (成果と報酬)

 サラリーマンであれ社長であれ自分が出した成果によって報酬が支払われなければなりません。成果から算出される報酬はそれぞれの会社によって違うが算出される根拠は報酬を受け取る側に公開されなければならないと思います。そのような理由から私は1つの事業が完成したときに担当者を雇うのではなく別の会社を設立し社長を募集しました。報酬の額を自分で決めてもらおうと思ったのです。これならどちらからも不満は出ないし報酬の上限もありません。
 以前、社内をすべて計算式で組み立てようと思った事があります。売上げを元にそれぞれの担当者の報酬が決まります。どうやって安い給料で社員をこき使おうか、などと考えてはいけないのです。どれだけの成果を出せばどれだけの報酬が得られるのかを明確にすれば努力する社員は努力するし、そうでない社員はそうでない報酬を得られます。会社側からすれば売上げが落ちれば経費が減るのです。経営者の仕事は報酬を算出する計算式の定数や変数または計算式そのものを調整する事だと思います。
 数年前、機械部品の直販メーカーM社のT取締役が金沢で講演しました。受講料が千円で以前から興味ある会社だったので受講しました。M社はプロジェクトリーダーを決めプロジェクトリーダーがメンバーを採用します。プロジェクトリーダーは社内、社外を問わずメンバーを採用できます。そのプロジェクトの損益によってプロジェクトリーダーやメンバーの報酬が決まります。メンバーを増やせば経費が増えるのでプロジェクト全体の利益が減ることになります。以前テレビでも紹介されたと思いますが、あるプロジェクトリーダーが社長よりボーナスが多かったときがありました。私はそれでよいと思います。最初に始めたから儲かるとか、上にいるから儲かるというのは、ネズミ講のようです。あくまで成果によって報酬を決めるべきだと思います。
 私にはその講演がとてもおもしろく納得できるものでした。しかし、そんなM社を作り上げたノウハウを一人千円で公開しても良いのか?と心配になりました。この内容なら一人10万円ほど払わないとダメなのではないかと思った。講演が終わり受講者がすべて会場から出て行くのを確認して、私はT取締役のところへ行き「この講演の受講料は千円なんです。こんなノウハウを話して良いんですか?」と聞きました。T取締役は「いいんです。皆さん言葉を理解しても魂まで理解できませんから」、私は「なーんだ分かっていたのか。さすがT取締役だな」と思いました。それと同時に、その自信からにじみ出るT取締役の努力の大きさを感じました。
 ところで、プロジェクトが解散したらメンバーは別のプロジェクトに参加するのですが、どのプロジェクトからも声がかからない社員はM社を退社することになります。報酬の上限が無い代わりに下限もないのです。1年後、また何かのプロジェクトから声がかかれば、M社の社員になります。M社は人を雇っているのではなく能力を仕入れているのです。私はこのようなドライな雰囲気が好きです。またM社は議論できる環境がありメンバー全員が目的達成のため全力を尽くせるのだと思います。そろそろ日本人も個人事業主の感覚が必要になってきました。 (2003年11月)

少し詳しく書いてみました。

 

 

社長より稼ぐ社員が正しい ― 真の「成果主義」がもたらす覚悟と自由

 

(このコラムは2003年11月に執筆されたものです)

 

1.報酬の根拠は、ガラス張りでなければならない

 

サラリーマンであれ社長であれ、報酬は自らが出した「成果」によって支払われるべきです。そして、その報酬を算出する根拠(計算式)は、報酬を受け取る側に対して完全に公開されなければならない。これは、組織における絶対的な原則だと私は考えています。

「どうすれば社員を安い給料で働かせられるか」といった発想は、経営者として論外です。そうではなく、「どれだけの成果を上げれば、どれだけの報酬を得られるのか」を明確に提示する。そうすれば、努力する社員は正当な対価を得てさらに邁進し、そうでない社員は相応の報酬を受け入れることになります。この透明性こそが、健全な信頼関係の礎となります。

この考えに基づき、私は過去に一つの事業が完成した際、担当者を社内で雇うのではなく、全く別の会社を設立して社長を公募したことがあります。その社長には、自らの報酬額を自分で決める権限を与えました。これならば、事業の成果に対してどちらからも不満は出ませんし、報酬に上限を設ける必要もありません。

経営者の本来の仕事とは、社員を管理することではなく、成果と報酬を連動させる「計算式」そのものを設計し、市場環境に応じてその変数や定数を調整していくことに尽きるのです。

 

2.究極の成果主義「M社」のプロジェクト制度

 

数年前、私が理想とする仕組みをすでに実践している企業の講演会に参加する機会がありました。機械部品の直販メーカーとして知られるM社のT取締役が、金沢で講演を行ったのです。以前からそのユニークな経営手法に強い関心を抱いていた私は、迷わず参加しました。

M社の仕組みは、徹底したプロジェクト制度で成り立っています。

  1. まず、事業ごとにプロジェクトリーダーが任命される。

  2. リーダーは、その事業を成功させるために必要なメンバーを、社内外を問わず自らの判断で採用する。

  3. プロジェクトが生み出した損益(利益)に基づき、リーダーとメンバーの報酬が決定される。

この制度では、メンバーを無駄に増やせば一人当たりの経費が増え、全体の利益、ひいては自分の報酬が減ることになります。そのため、全てのメンバーは少数精鋭で、極めて高い当事者意識を持って事業に取り組みます。

以前テレビでも紹介されていましたが、あるプロジェクトリーダーのボーナスが、社長のボーナスを上回ったことがあったそうです。私は、これこそが正しい組織の姿だと思います。「最初に始めたから」「役職が上だから」という理由だけで高い報酬を得る仕組みは、言ってしまえばネズミ講の構造と何ら変わりません。報酬は、あくまで個人の成果に対して支払われるべきなのです。

 

3.千円の講演料と「魂」の価値

 

その講演内容は、私にとって衝撃的であり、深く納得できるものでした。しかし同時に、強い疑問が湧き上がりました。これほど革新的で価値のある経営ノウハウを、たった千円の受講料で公開してしまって良いのだろうか。私なら、10万円を払ってでも聞きたい内容です。

講演が終わり、他の受講者が全員退室したのを見計らって、私はT取締役のもとへ歩み寄り、尋ねました。

「今日の講演料はたったの千円です。これほど重要なノウハウを、本当に話してしまって良かったのですか?」

すると、T取締役は静かにこう答えました。

「いいんです。皆さん、言葉を理解しても、その魂まで理解することはできませんから」

その言葉に、私はすべてを理解しました。さすがはT取締役だ、と。彼の揺るぎない自信と、その言葉の裏にあるであろう、想像を絶するほどの努力の大きさを感じ取り、私は深く感銘を受けました。システムや理論は模倣できても、それを血肉化し、企業文化にまで昇華させる「魂」は、決して真似できないのです。

 

4.「個人事業主」として生きる覚悟

 

M社のドライな仕組みは、その魂の裏返しでもあります。プロジェクトが解散すれば、メンバーは別のプロジェクトから声がかかるのを待つしかありません。もし、どのリーダーからも必要とされなければ、その社員はM社を退社することになります。

報酬に上限がない代わりに、下限もない。一年後、再び能力が認められれば、またM社の社員として迎え入れられる。M社は人を「雇用」しているのではなく、常に市場価値のある「能力」を仕入れているのです。

私は、この緊張感とプロフェッショナリズムに満ちた雰囲気が好きです。メンバー全員が会社の看板に頼らず、自らの能力で目的達成に全力を尽くす。そこには、真の意味で「議論できる環境」が生まれます。

もはや、一社に人生を預ける時代は終わりました。これからの日本人に必要なのは、会社員でありながらも、常に一人の「個人事業主」であるという感覚ではないでしょうか。