
出典:帝国データバンク発行 帝国ニュース北陸版 2025年7月18日
株式会社ソロモン 代表取締役 砂原康治 (商品開発アドバイザー)
かつて私は、「将来こうなるだろう」と予測しながら特許を出願していました。出願後は、多くの企業に提案書を送りましたが、ほとんどの返答は「不要」とのことでした。
ところが、その後で特許を放棄すると、同じような製品が市場に現れることがあります。特許が弱いと、大企業がまったく同じ製品を堂々と販売するケースもありました。中には、その企業の弁護士から「文句があるなら訴えなさい」とのメールを受け取ったこともあります。テレビコマーシャルはきれいなのに、と複雑な気持ちになります。
結局、何がヒットするかが事前に分かっても、それを実行する力がなければ、アイディアは価値を持たないのです。本来、特許はそうしたアイディアを守るための制度ですが、現実には“実力”も重要です。
次に、私が「分かっていたけれど実行できなかった」事をいくつか紹介します。
・ネットオークションサイトの運営(1994年)
私は1994年、ネットオークションサイトの運営を開始しました。米国のe-Bayが誕生する1年前のことです。当時、インターネットプロバイダーはまだ一般的ではなく、ダイヤルアップ式でシステムを構築しました。DMを送ったところ、5%の人が登録してくれて「やった!成功する」と思いました。
C-to-Cの取引が当たり前になると確信していたため、早急にインターネット版のシステムを構築する人材を探していた矢先、勤務していた会社を解雇されてしまい、手っ取り早く売上を作ろうとメーカーを始め、オークションサイトは閉鎖しました。まだGoogleも検索エンジンも存在しない時代の話です。
・リュックサックや自動車用シートの通気性確保
私には、背中に当たる部分にダブルラッセルというニット生地を使い、通気性を確保するというアイディアがありました。リュックサックに使うか、自動車用シートに使うかを迷いましたが、最終的には自動車用シートとして特許出願しました。
その後、生地メーカーやシートメーカー、自動車メーカーに提案書を送りましたが、すべて「不要」との返事でした。やむなく特許を放棄したところ、試作用の生地を購入していた繊維メーカーのホームページに、某L車のシートに採用されたとの記事が掲載されていました。おそらく私が権利放棄するのを待っていたのかもしれません。結果として、お金をかけてアイディアを“プレゼント”してしまいました。
その後は「自ら事業化するテーマ」に限って特許出願をするようにしました。近い将来、確実にヒットする製品だと分かっていても、自分でメーカーをしない場合は、もったいないと思いつつも放置しています。
この「もったいない」を「売上」に変えるには、チーム作りが重要だと感じています。つまり、「分かる人」と「できる人」の連携です。
「分かる人」は中小企業かもしれません。そして「できる人」は大企業かもしれません。このような組み合わせから、スムーズな特許流通が生まれる可能性があると思います。これまでの特許流通は、大企業から中小企業への一方通行の流れでした。しかし実際に商品開発を経験すると、むしろ流れは逆の方が自然だと気づくはずです。
ちなみに、「分かる」だけでもできることがあります。それが株式投資のような分野です。パソコンが使えれば、誰でも可能です。私は30代から50代までの約20年間、自分の性能を測るために断続的に株式投資を行ってきました。結果は20年間、負けなしでした。 リーマンショックの年だけは成績が落ちましたが、それでも年間で+15%を確保しました。
アイデアを“盗まれない”ために。個人発明家が直面した、特許と「実行力」の残酷な真実
「このアイデアは、絶対に当たる!」
そう確信したにもかかわらず、気づけば他社の製品として世に出ていた…そんな悔しい経験はありませんか?
今回は、私自身が過去に何度も味わった、アイデアとビジネスの現実についてお話しします。これは、未来を予測する「先見性」だけでは成功できず、「実行力」という名の巨大な壁に跳ね返された物語です。
1. アイデアは“プレゼント”になった:特許制度の理想と現実
かつて私は、「将来、世の中はこうなるだろう」と予測し、それを先回りして特許を出願するという戦略をとっていました。しかし、意気揚々と多くの企業に提案書を送っても、返ってくる答えは「不要です」という冷たいものばかり。
そして、失意のうちに特許の権利を放棄すると、まるでそれを見計らったかのように、酷似した製品が市場に登場するのです。特に、こちらの特許が弱いと見れば、大企業が全く同じ製品を堂々と販売することさえありました。ある時は、抗議した私に対し、相手企業の弁護士から「文句があるなら訴訟を起こしなさい」という一文が書かれたメールが届いただけでした。テレビCMで流れるクリーンな企業イメージとのギャップに、複雑な気持ちになったことを今でも覚えています。
この経験から、私は一つの真実を痛感しました。
「何がヒットするか事前に分かっていても、それを自ら形にする力(実行力)がなければ、そのアイデアに価値はない」
本来、特許は個人の小さなアイデアを守るための制度のはずです。しかし現実のビジネスの世界では、資金力や販売網といった「実力」がなければ、その盾はあまりにも脆いのです。
2. 私が「分かっていたのに、できなかった」2つの事例
事例1:早すぎたネットオークションサイト(1994年)
私がネットオークションサイトの運営を構想したのは1994年。今や世界最大手となった米国のeBayが誕生する1年前のことです。
当時はまだインターネット黎明期。ダイヤルアップ接続が主流の時代にシステムを構築し、DMを送ったところ、5%もの人が登録してくれました。個人間(C-to-C)取引が当たり前になる未来を確信し、「これで成功できる!」と胸を躍らせたものです。
しかし、本格的なインターネット版システムを構築する人材を探していた矢先、私は勤めていた会社を解雇されてしまいます。日々の生活費を稼ぐため、手っ取り早く売上を作れるメーカー業に転身せざるを得ず、未来の可能性に満ちていたオークションサイトは閉鎖。Googleさえ存在しなかった時代の、儚い夢物語でした。
事例2:大手メーカーに“採用”された通気性シート
もう一つは、リュックサックや自動車シートの背中の蒸れを解消するアイデアです。「ダブルラッセル」という通気性の高いニット生地を使うという単純なものでしたが、私はこれを自動車用シートに応用しようと考え、特許を出願しました。
生地メーカー、シートメーカー、自動車メーカー、あらゆる企業に提案書を送りましたが、答えはすべて「不要」。やむなく特許を放棄した数ヶ月後、私は目を疑う光景を目にします。
試作用の生地を購入した繊維メーカーのホームページに、「某高級車L社のシートに、当社の生地が採用されました」という記事が掲載されていたのです。おそらく彼らは、私が権利を放棄するのを待っていたのでしょう。私は、多額の費用と時間をかけて考えたアイデアを、みすみす他人に“プレゼント”してしまったのです。
3. 敗北から学んだ、これからの戦略
これらの苦い経験を経て、私は戦略を変えました。「自ら事業化するテーマ」に限定して特許を出願する、と。
近い将来、確実にヒットすると分かっている製品アイデアがあっても、自分でメーカーとして製造・販売できないのであれば、静観する。それは非常にもったいないことですが、無防備なアイデアは、もはや資産ではなくリスクでしかないからです。
では、この「もったいない」を、どうすれば社会の「売上」に変えられるのでしょうか? その鍵は、「分かる人」と「できる人」のチーム作りにあると、私は考えています。
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「分かる人」: 未来を予測し、市場のニーズを的確に捉えることができる個人発明家や中小企業。
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「できる人」: 豊富な資金、開発力、販売網を持つ大企業。
これまでの日本の特許流通は、大企業が開発した技術を中小企業へライセンスするという、一方通行がほとんどでした。しかし、本当にイノベーティブな商品開発の現場を見れば、むしろ流れは逆であるべきです。現場のニーズを肌で感じている「分かる人」のアイデアを、「できる人」がスピーディーに形にする。この新しい連携こそが、スムーズな特許流通と、埋もれたアイデアの事業化を促進するのではないでしょうか。
補論:「分かる」だけでも勝てる領域
ちなみに、「分かる」能力だけでも勝負できる世界もあります。その一つが株式投資です。
私は30代から50代にかけて、未来予測という自らの性能を測るため、断続的に株式投資を行ってきました。結果は、約20年間、年間収支で一度も負けなし。世界中が混乱したリーマンショックの年でさえ、年間でプラス15%のリターンを確保しました。
これは、特別な才能ではなく、「世の中の流れを読み、次に何が来るかを予測する」という、これまで私がビジネスの現場で培ってきた「分かる」力を応用したに過ぎません。
しかし、ほとんどの事業は、投資のように一人で完結しません。だからこそ、「分かる人」と「できる人」が手を取り合う仕組みが、今の日本には必要なのです。
