はじめに:「アイデアそのもの」を買い取る会社
世の中には、製品やサービスではなく、「アイデア」そのものを買い取ることをビジネスにしている会社があります。その代表格が、マイクロソフト社の元CTOであるネイサン・ミアボルト氏が設立したインテレクチュアル・ベンチャーズ(Intellectual Ventures, IV)です。
彼らのウェブサイトを一見しただけでは、そのビジネスモデルの全容を掴むのは難しいかもしれません。しかし、その核心は極めてシンプルです。彼らは、世界中の発明家や企業から、まだ形になっていない「アイデアの原石」を買い取り、それを磨き上げて価値に変える「発明キャピタル」なのです。
なぜ「特許出願前」のアイデアを好むのか?
私がこの会社に興味を持ったきっかけは、彼らの独特な買取方針でした。原則として、すでに特許になったものではなく、「特許出願前」のアイデアを買い取るというのです(もちろん例外はあるそうですが)。
なぜでしょうか?これは、彼らのビジネスモデルの根幹に関わる、極めて戦略的な理由に基づいていると考えられます。
アイデアというものは、特許という「権利の器」に盛り付けられて初めて法的な保護を受けます。そして、その器の形(=権利範囲)をどう設計するかで、価値は天と地ほどに変わります。
すでに特許として成立してしまったものは、その器の形が固定されてしまっています。後から「もっと広く権利を取っておけばよかった」「この表現では他社に抜け道を与えてしまう」と気づいても、修正は困難です。
一方で、「出願前のアイデア」であれば、IVが持つ世界トップクラスの知財専門家チームが、そのアイデアの価値が最大化されるよう、最適な形で「権利の器」をゼロから設計できるのです。徹底的な先行技術調査を行い、競合他社が回避できないような、抜け道のない強力な特許ポートフォリオを戦略的に構築する。そのために、彼らはあえて「原石」の段階で買い取るのでしょう。
品川オフィスで聞いた、彼らの哲学を象徴する一言
以前、IVの日本オフィスが品川駅の港南口側にあった頃、一度訪問する機会がありました。オフィスに足を踏み入れて印象的だったのは、まるで特許庁の審査室のように、審査官が使うような重厚な机と椅子が整然と並んでいたことです。
そこで、担当者の方が口にした一言が、今でも忘れられません。
「特許庁は、あくまで出願された発明を『登録』する機関です。その発明が持つ真の価値を『評価』し、社会で『運用』するのは、私たちなのです。」
これは、彼らの役割と自負を見事に表した言葉でした。特許庁の役割は、法的な要件に基づき、発明にお墨付きを与える「ゲートキーパー」です。しかし、そのお墨付きを得た特許が、ビジネスの世界でどれほどの価値を持つのか、どう活用すれば利益を生むのかを判断するのは、また別の専門性が求められます。IVは、自らをその価値判断と運用のプロフェッショナルであると定義しているのです。
日本に眠る「アイデアの宝」を発掘する者たち
この話を聞いて、私は確信しました。彼らは、日本で埋もれてしまった数多の優れたアイデアを買い取っているのだろう、と。
日本の大企業の研究開発部門や、素晴らしい技術を持つ中小企業、そして個人の発明家が生み出しながらも、事業化の判断が下されなかったり、正当な評価を受けられなかったりする「アイデアの原石」は、それこそ無数に存在します。
IVは、そうした「世に出なかった宝」を発掘し、国境を越えてその技術を必要とする別の企業にライセンスする。そうすることで、本来であれば消えていたかもしれないアイデアに光を当て、新たな価値と利益を生み出しているのです。
彼らのビジネスは、時に「パテント・トロール(特許の怪物)」と揶揄されることもあります。しかし、その一方で、イノベーションの循環を促し、発明家が正当な対価を得るための重要な役割を担っていることも、また事実なのです。
