今から十数年前、私は生まれて初めて一冊の本を書き上げました。
驚くべきことに、その処女作は発売後すぐにAmazonのランキングを駆け上がり、最高で総合47位にまで到達しました。当時の私にとって、それは信じがたい出来事で、「これは何かの間違いでは?」と、ただただ画面を眺めていた記憶があります。
しかし、この話には一つ、奇妙な点があります。 何を隠そう、私自身は本をほとんど読まない人間なのです。
私の読書スタイル:10年に1冊、10ページで挫折
「本を読まない」と言っても、全くのゼロではありません。平均すると、10年に1冊か2冊はおもしろくて一気に読みます。しかし、人から強く勧められたものは、たとえ読み始めても、面白さを感じられなければ10ページほどで挫折してしまうのが常でした。
活字を追い、他人の思考をインプットする作業が、どうにも性に合わない。それよりも、自分で何かを創り出したり、未知のことに挑戦したりする「体験」の方に、私は遥かに強く惹かれてきたのです。
では、そんなインプットが苦手な私が、なぜ一冊の本を書き上げるというアウトプットができたのでしょうか。自分でも本当に不思議でした。
書けた理由:語るべき「物語」があったから
今振り返れば、その答えは非常にシンプルです。 それは、私の中に「語るべき物語」が、あったからです。
その本で私が書いたのは、技術的なノウハウや成功法則ではありませんでした。主役は、私自身がゼロから開発し、育て、そして最後はその権利を旅立たせた「デジカメスタジオ」という一つの商品。その誕生から終焉までを描いた、実体験のストーリーでした。
一つのアイデアが生まれ、試行錯誤の末に製品となり、市場で評価され、そして最後は特許譲渡という形で私の手を離れていく。ビジネスの「始まりから終わりまで」の全サイクルが、あまりにもコンパクトに、そして美しく完結していたのです。
「この面白い物語を、誰かに伝えたい!」
その強い衝動が、私を執筆へと駆り立てました。文章の書き方も、本の構成も、何も知りませんでした。ただ、頭の中にある鮮明な記憶と興奮を、そのまま文字に起こしていったのです。
「体験」が「言葉」になるとき
この経験を通じて、私は一つの重要な事実に気づかされました。
人の心を動かす文章の源泉は、必ずしも豊富な読書量(インプット)にあるわけではない。むしろ、他の誰もしたことがないような強烈な「体験」、そしてそれを伝えたいという「熱量」こそが、言葉に力を与えるのだと。
この「デジカメスタジオ」の物語は、私にとってまさにそれでした。そして、この一冊を書き上げたことで、私は「自らの体験を、言葉で再構築し、誰かと共有する」という、文章を書くことの本当の楽しさに目覚めたのです。
もし、あなたの心の中に、語らずにはいられない熱い体験があるのなら。 それはきっと、一冊の本になるほどの価値を秘めているのかもしれません。

